こんばんは。
China Style池村憲治です。
一つ思うことがあるんです。
「語学」という言葉が、そもそも、ややこしくしているんじゃないのかって。
「言葉」なんてもの「学習」とは違うんですよ。
算数みたいに、「1+1」が「2」になるわけじゃないんです。
極論ですが、『目と目で通じ合う関係』になったら、
それこそ、「言葉」なんてものは、必要ないんです。
自分の思っている事を「言葉」というものに置き換えて、
相手の下に届ける…
それを相手が、自分の中にしまいこんで理解する、
それが「言葉」の役割なんですね。
何が正しい、何が正しくない、とか思うから、
「間違えたらいけない」と、言葉を発することが出来なくなると思うんですよ。
もっと、気楽に簡単に考えましょうよ。
『うどんに、卵を入れますか?』
さ、どう表現しましょう?
「うどんの上に、卵を置きますか?」
もちろん正解ですよ。
さ、もっとシンプルに考えませんか?
「卵…要りますか?」
これでも、結局、同じ事を聞いていませんか?
「置く」という単語がわからない…どうしよう…
ではなく、ちょっと考え方を変えるだけで、なんとでもなるんですよ。