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『いただきます、という文化』

何やら世間を騒がしている「犬肉祭」…
中国の広西壮族自治区での、伝統行事ですね。

これに、何やら、皆様が反応していらっしゃいますね。

・犬は、人間の話していることが分かる。そんな犬を食べるのは野蛮だ!
というのなら、「なにをかいわんや」です。

牛は、豚は、鳥は、人の言うことが分からない、だから食べていい、
犬は、それが分かる、だから食べるのは可哀想、

これは、まったくもって、人間本位な考え方です。

では、更に、
・家畜の肉を食べるのは野蛮です。だから、ベジタリアンになります
これも「何を言ってる?」です。

野菜だって、草だって、命があります。
命の重みは平等です。

いただきます、という文化

・人間の言葉を解せるから
・物を言わないから
・人との距離が近いから
という理由で命の重さを計るのは、それこそ、野蛮な行為です。

だから、これは食べていい、食べてはいけない、
という理由には、全くなりません。

だとしたら、犬肉と一緒に食べているライチは、命ではないのでしょうか?
我々人間は、様々な命をいただいて、ここまで生きながらえているのです。

それこそ、人間は、罪深い生き物なのだと思うのです。
だからこそ、「(命を)いただきます」という文化が根付いているんですよね。

蛇足にはなりますが、このお祭りを
・他の犬を盗んできたから
・そこらへんに死骸を捨てるから衛生的にどうだろう
という理由で反対をしているのなら、まだ解せます。

でも、それならば、食べている人を非難するのではなく、
お祭りを主催している人を非難してしかるべしです。

今日も、生きていけることを感謝していきたいですね。