こんにちは。
China Style池村憲治です。
大人になってから、触れるもの、というのは、
ほぼ全てが、ロジカルな物だ、と思うのです。
スキーのインストラクターが、笑いながら、こう話していました。
『子供たちは、転んだときに立ち上がる方法を聞きに来ません。
周りの人が、どうやって立ち上がるかを見て、真似ています。
大人の方は、どこをどうやって立てば良いか、説明を求めてくるのです』
なんでも
『転んだときは、まず右足をここに置いて、次に腕をこうしてああして…』
という説明が欲しいのだそうです。
全員が全員、そう、というわけではないでしょうが、
大人の方は、そういう説明を求める人も、多くいらっしゃるんでしょうね。
皆さん、中国語がわからないとき、辞書を引いたりしますか?
名詞だったら、辞書で一気に解決できますね。
「学校(中国語)」が「学校(日本語)」という意味で出ていますから。
困るのが、それ以外の言葉です。
それも、何通りも用法があるような単語…
分からないから、辞書を引いているのに、辞書の説明が更に分からない…
どこを見たら良いのかも、よくわからない…
全てが、ロジカルに説明してあるから、こういう事態になってしまうのでは?
と思うのです。
その分からない単語が使われているフレーズを、数多く体験する、
その中で、自分の中に落とし込んでいく、という方法が、
私には合っているようです。