いつも思うのですが…
ルールに則ったことをして、それがちょっとやりすぎだから、と、
「その当人」が非難される、悪役になる、
というのは、全くもって、違うと思うのです。
「ルールはルール、でも、品位は必要」
と、声高らかに言う人がおりますね。
それはそれで、意見だと思うのです。
だからといって、それと
「品位が無い本人を非難する」
のとは、別物だと思うのですよ。
それを許している大元を非難して然るべしですよね?
教えている人だったり、協会だったり。
柔道が「JUDO」になってきた、と、
ルールを変更しているのは、記憶に新しいと思います。
「柔道がレスリングになってきた」とね。
「ルールの中だったら、何をしても言いというのか」
はい、私はそう思います。
でなければ、『ルール』とはなんでしょう?
ルールの行間まで、読まなくてはいけない世の中なのでしょうか。
話がそれますが、脱法ハーブも、これにあたるでしょう。
ルールでは、『買う』こと事態は、問題が無いわけですからね。
問題があるとすれば、ルール。
これを今まで野放しにしていた責任の方が重いと思うのです。
だったら、早くルールを決めればいいことなのです。
「勝つための敬遠」だって、ルールにはあることですからね。
それだったら、
「5連続敬遠はやめること」
と、するべきなのです。
勝負の世界でしょう?
それをしなくて、負けるほうが、よっぽど非難されるべきことだと思うのです。
勝つためには何をしてもいい?
はい。ルールの中だったら、何をしても良いと思うのです。
「ルールの中」ですよ、もちろん。
でなければ、「ルール」って、何ですか?
何のための「ルール」ですか?